【COMEMO】追悼:西部邁

結構、皆さん、いろいろなところで書いていらっしゃるので、学部生として講義を取った程度(でも、飲みには連れて行ってもらいました)の私が何か書くのもなんなのですが、僭越ながら、少し書かせていただければと思います。私は普通に行けば経済学部に進学する科類だったんですが、1年生の時に彼の経済学の講義で感じるところがあり、駒場に4年いるという選択をしました。3,4年の彼の授業はとても少人数で、教室でも(その後の飲みでも)、彼は極めて真摯に学生の質問・コメントに、悪い意味ではなく、いちいち反応して下さいました。言葉に対してとてもsensitiveな方でした。

その時の記憶を遡れば、彼を日本でいうところの「保守派」と呼ぶのはいささか不正確で、天皇制についてもその機能の必要性から支持されていました。特に、オルテガ、ハイエクに賛同される論理はなかなか説得力があったと思います。「平衡」「緊張」「覚悟」という言葉から、かなりの社会現象を説明しつくされる態度は、人生をいかに生きるべきかという点において、学部生であった私にでさえ、とても示唆的でした。

彼の書物をひもとくと、アメリカへの嫌悪とイギリスへの愛着が実はかなり大きかったのだなあ、と思い至ります。戦後の日本がアメリカ・ダッシュである、という指摘は極めて的を得ていたと思いますが、アメリカの良質な部分(彼のいう「大衆」ではない人も、少なからずいること)への言及は少なかったような気がする点と、私が90年代半ばから10年超日本を離れていた経験からいうと、多くの方々のコメントとは異なりますが、日本の「大衆」は少なくとも1990年頃と比して、現在は少しはまともな方々も増えているのではないかという点、を私は今speculateしています。

その背景には、彼が好んでよく言っていた「皆が絶望を感じるようになってはじめて、希望の光がみえる」という現象が、日本でも局地的には起こっているのではないか、という「希望」の可能性を述べて、追悼の言葉とさせていただきたい、と思います。

 

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ゼミ生によるコラム